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2012年5月の記事

2012年5月28日 (月)

1300年と1ヶ月

こんばんは! 癒しの風foomiのふうみです

4月末、天河神社に行ってからというもの(→天河神社旅行記1天河神社旅行記2)、一緒に行った3人に関係する過去世を次々と思い出すハメになりまして(笑)、ほぼ毎日、浄化のワークをしていました。泣いたり笑ったり、なんとまぁ忙しい1ヶ月でした

そのうちの一つが、大海人皇子(後の天武天皇)と額田王(ぬかたのおおきみ)の恋物語でした。

この前、やっと私側の浄化が終わったのですが、なかなかチャージの解放がうまくいかず、解放まで約1ヶ月もかかってしまいました
正確には、約1300年と1ヶ月ですが(笑)。

--

私は、額田王の分け御魂(わけみたま)をもらっています。

分け御魂って何? …という方がいるかもしれませんので、簡単に説明します。

地球での人間の転生の仕組みは、長居和尚がおっしゃっていることが正しいと私は考えています(詳細は、長居和尚のセミナーでお聞きください)。

人間が死ぬと、その魂は3000~5000くらいに小さく分かれます。その分かれたものがその他のたくさんの魂の分かれたものとミックスされ、また3000~5000くらいのかけらとして集まって、次の一つの魂となります。

ですから、ある過去の人物の分霊はたくさんいます。
同じような前世の記憶を持っている人は複数いますし(その時代の集合意識として引き継ぐ場合もある)、その魂の割合が大きい人であれば、引き継ぐ性格や記憶(チャージ、カルマも含み)は大きくなるのでしょう。

なので誰しもが、ちょっとした歴史上の有名人の分け御魂をもらっている可能性があります。
(歴史上の人物で、理由もなく、とても好きだったり、共感するような人物がいる場合は、自分がその人の分け御魂だったり、関係者だったり、その時代に生きていた可能性が高いと思います。ただ分け御魂率としては、何千分の1という小さい場合も多いでしょう)

--

あなたは、万葉集の中にある有名な歌、

あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る」

という歌をご存じでしょうか?

結構有名なので、知らない人は学校の授業中寝ていたんだと思いますが(笑)、これは、天智天皇の7年(668年)、蒲生野(がもうの)に皇族たちが遊猟した際、額田王が大海人皇子(額田王の元夫で後の天武天皇)に詠んだ歌です。意味は、

「あかね色に匂う紫の草の生える標野をあちこち行き来なさりながら、あなたは盛んに袖を振ってらっしゃる。そんなことをして、野の番人に見つかるではありませんか」

ということで、標野でしきりに自分に手を振る元夫(大海人皇子)に対して、「あんた何やってんのよ、夫が近くにいるのに。」的な歌です

その返歌が、大海人皇子(のちの天武天皇)の以下の歌。

「むらさきの にほへる妹(いも)を憎くあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも」
(紫の美しい色のように匂うあなた。あなたのことが憎らしかったら、何もこんなにも恋慕いはしません。もう人妻のあなたなのに)

この二人の問答歌は、情熱的で大胆な恋の歌のようですが、一説には、彼らが既に人生の後半にさしかかった頃、酒宴を盛り上げる余興的な意味合いで冗談っぽく詠んだものとも言われています。

実際のところはどうだったのでしょうか?

--

話は変わって、10年前。
私がスピリチュアルの「ス」の字も知らなかった頃(笑)。
当時、広島に住んでいた私は、当時付き合っていた彼(今の夫)の家族がいるという、滋賀へ遊びに行くことになりました。

近江八幡駅から近江鉄道に乗って線路沿いの景色を見た途端、既視感となつかしさで、胸がいっぱいになってきました。「ここが好き!」と強く感じました。
降りた駅は、東近江市の八日市駅。
電車から降りて駅前に出ると、そこには額田王の歌碑が建っていました。
「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」の歌碑です。

その歌碑を見た途端、私は涙が止まらなくなって、その場で号泣してしまいました。
全然意味がわかりません(笑)。でも、感情があふれて、涙が止まらないのです。

そして10年後。
私はなぜか、その歌の舞台となった「蒲生野(がもうの)」から車で15分のところに越して来ることになりました。さらに、家の近くの竜王町には、額田王や鏡王女の生家ともいわれる「鏡神社」がありました。その神社はたまたま通りかかったのですが、由緒書きの立て札に額田王の名前があって「なぜここに額田王が?」と驚いたことを覚えています。

引っ越ししてから間もなくして、私がどうやら額田王の分け御魂をもらっていることには気付きましたが、それ以外のことは思い出せずじまいでした。

額田王の何のチャージ(感情の置き忘れ、浄化が必要な感情)が残っているのか、思い出した理由は何か、何を浄化しなければならないのか、ということが、なかなか出て来ないのです。

1ヶ月前、天河神社の帰りの電車の中、三角関係のツバメのことを思い出し、「ん? 三角関係と言えば…」と思いついたのが、大海人皇子(天武天皇)・天智天皇・額田王の話でした。

天川に一緒に行ったクックちゃんは、実は、大海人皇子(天武天皇)の分け御魂を持つ一人のようで、そのために、いろいろ思い出すことになったようです。
そして、天武の兄である天智天皇に意識を合わせてみると…分け御魂を持っていたのは夫でした。

天智天皇といえば。
天川に行く1ヶ月前、雄琴温泉に用事があった私と夫が、なぜか立ち寄ることになった近江神宮。夫は外国人なので、一緒に神社に行くことは少ないのですが、珍しく一緒に行ったその近江神宮の御祭神は…天智天皇でありました。なんたる偶然(笑)。

天智天皇が崩御したときに、額田王が詠んだ歌があります。

やすみしし わご大君の かしこきや
御陵仕ふる 山科の 鏡の山に
夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを
泣きつつありてや 百磯城の 大宮人は 去き別れなむ

(私の大君のおそれおおい御陵に対し、山科の鏡山で、夜は夜通し昼は一日、 声を上げて泣き続けています。そんな大宮人達は、ここを去って別れて行くのでしょう)

この歌を読むと、天智天皇が亡くなったと聞いた時の悲しみが胸に広がって、涙が出ました。

--

額田王の分け御魂の一人である私の解釈は、こうです。

額田王は、後の夫の天智天皇を愛していました。
最初は嫌々ながら天智天皇の後宮に入ったものの、彼女はその状況を受け入れ、その後、少しずつ夫を愛するようになっていきました。
ただ、前夫の大海人皇子(天武天皇)のことは忘れられず、その気持ちを抑えて生きていました。

時は流れ、人生も後半にさしかかり、蒲生野に出かけた際、屈託もなく自分に手を振る前夫(大海人皇子)を見て、彼女は、今まで気付かぬふりをしていた彼への愛しい想いに気付きます。
余興の席での歌として作った「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」という歌は、みんなが知っているネタ(自分は天武の前妻であること)でウイットをきかせて作りましたが、実はその歌の裏に、彼女は自分の本心を100%込めて詠んだのです。

あなたが愛しい。
でも、私は今はあの人の妻なのだから。
今さら、どうしろと?

という本心です。

大海人皇子からの返歌は、余興の席で大いに盛り上がり、額田王もそれをみなで笑って楽しみました。でも、その夜、彼から送られた歌を反芻し、彼女は泣きました。

あの時、どうして、私を手放したの?
なぜ、渡さないと言ってくれなかったの?

数日前、額田王が天智天皇の後宮に入る前に、大海人皇子と口論になっている場面がビジョンで見えました。。
兄の天智天皇から、額田王を後宮に入れたいとの申し入れがあり、それを大海人皇子が妻の額田王に伝えたシーンです。

大海人皇子としては、兄である天智天皇の命令とあっては、受け入れざるを得ない。
でも額田王としては、夫が、なぜ自分の妻を自分の兄に平気で差し出すのかわからない。なぜ、ノーと拒否して抗議しないのか、彼の心が理解できない―――。

結局二人の想いは平行線のままで、後宮に入る際も、口をきくこともなく別れています。
額田王としては、意固地になることで夫に抗議し、自分の想いをわかって欲しかっただけなのですが、結局、そのままきちんと話をする機会はなく、離れてしまったようです。

夫婦ゲンカであれば、いつか仲直りもできたでしょう。
でも、二人はもう夫婦でいることはできず、二度と一緒に暮らすことはなかったのです。

10年前、私が歌碑を詠んで泣いてしまったのは、その時の感情があふれてきたからでしょう。

そのビジョンを見た2日後、やっと私の魂の中にいた額田王は、やっと光に還りました。
彼女の気持ちを私がしっかりと理解し、味わうことで、彼女の感情はやっと浄化されたのです。

気付いてから1ヶ月。正確には、約1300年と一ヶ月。
なんとまぁ、長いこと!(笑)

額田王、やっと上がれてよかったね
あなたは、ちゃんと愛されていたのです。
あなたの詠んだ愛のこもった歌は、これからもいろんな人の心をゆらしていくことでしょう。

ありがとう

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2012年5月20日 (日)

1週間

今日の夕方、自宅に宅急便でお花が届きました。

お友達でアニマルコミュニケーターの卵でもある、みかんさんからです。
箱を開けた途端、涙が止まらなくなりました。

1

かわいい、お花で作ったライオン。
茶々ごんをイメージして、作ってくださったようです。
真ん中の胸の部分には真っ赤なハートが乗っかっています。

メッセージカードが入っていました。

「茶々ごん君
今は元のライオンになってのびのびしていることと思います。再び会える日までママのガイドをよろしくね!」

……号泣

実は、今日は仕事が終わって家に帰ってから、茶々ごんからメッセージがポンポンと来て(ここ数日は静かだった)、気にかかっていることなどのアドバイスをくれていました。

なんだか、久しぶりだよね…?…って思っていました。

その後、料理をしていたら、
「僕はふうみと一緒に生きられて、すごく幸せだったよ」
という言葉が伝わってきました。

そのメッセージに涙していたところに、お花が届いたのです。

いっぱい泣きました。

もう悲しみは癒えた。魂は永遠だとわかってるから悲しくない。
…そう言って、彼が亡くなってから楽しく有意義に過ごしてきたけれど。

私は、もうちょっとあなたと一緒にいたかった。
本当は、もっと一緒にいたかった。

仕方ないってわかってたけどね。ほんとは、それが正直な気持ちだったんだ。

悲しみはぜ~んぶ我慢せずに出したつもりだったけど、やっぱり抑えてたんだなぁ、ってわかりました。

-

ふと気付いたけど、今日は、彼が行ってちょうど1週間目、週命日の日なのでした。

みかんさんは、それがわかってて、ちゃんと今日、お花を届けてくれたんです。なんて優しい人なんでしょう!

そして、茶々ごん。ほんとに、ありがとう。
わざわざ、メッセージを届けに来てくれて。

かっこよくて優しい、私のライオン

これからも私のガイドをよろしくね

愛と光をこめて、心から、ありがとう

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オリジナルエネルギー「ひかりのさら」ヒーリング

2012年5月14日 (月)

黄金のライオン

こんにちは! 癒しの風foomiのふうみです^^

昨日、私の大切なパートナーであった飼い猫(猫2としてブログの記事には何度か登場)の『茶々ごん』が光へ還りました。

昨日は私が主催の『琵琶湖の風とガイアを感じる‘わの舞’講習会』の日で、それが終わって帰宅してからまもなくして、彼は私の腕の中で亡くなりました。

彼は、私が帰って来るのを待っていたようです。

最後まで私は奇跡を信じて話し続け、彼もそれに答えるように私の目をじっと見ていました。彼はもうちょっと頑張るつもりだったかもしれません。最後には涙を流し、目を開けたまま行きました。
最後の瞬間、私のハートにとても大きな愛のエネルギーがやってきて、もしや、と思い

「まだ行ってはダメよ! 私が奇跡を起こすから! 力を貸して!」

と彼の体を何度も揺り起こしましたが、彼の心臓が動くことはもうありませんでした。

実は、おとといの夜くらいから彼の体は冷たくなりはじめていました。
一緒に居るときはずっと抱きかかえ、ヒーリングと愛を送り続けました。

彼が、おとといではなく、昨日の夜を行く日に決めたのは、私に、楽しみにしていたわの舞のイベントに行かせたかったからだと思います。前の日に行ってしまったら、私が行かないかもしれない、行ったとしても楽しめないだろう、と思ったのでしょう。

また、彼は2日前まで動物病院に入院していたのですが、友人のアニマルコミュニケーターさんが、彼に「飼い猫は飼い主の腕の中でしか行ってはダメなのよ。だから必ず家に戻ってきなさい」と説得してくれたので、家に戻って、そして私の腕の中で行こう、と決めたのかもしれません。

彼の肉体はもう限界だったのです。
2週間くらい前からご飯を食べなくなり、病院で点滴やら何やら対処療法をしてきましたが食欲は回復せず、4日前くらいに開腹手術を試験的にしてもらいましたが、こぶし大の腫瘍が出来ており(人間だとすると頭の大きさくらいのものがお腹の中にあった)、主たる腫瘍部分は取ってもらいましたが、あちこち転移していて手の施しようがない状態でした。腹水も1リットル近くたまっていて、抜いてもらいましたが、あんな小さな体のどこにそんなものが入っていたのかと驚くばかりでした。

4キロあった彼の体重は、ここ2週間で2キロくらいまで落ちていました。

それでも私は奇跡を信じ、私の優しい大勢の仲間達が、各分野(動物医療、メディカルアロマ、各種ヒーリング、エネルギー整体など)からアドバイスをしてくれたり、エネルギーを送ってくれたりしました。
当初は、彼がヒーリング自体を受け取ることを拒否していた感があったのですが、私が「たくさんの人が応援してくれているので、受け取りなさい!」と言ったら、それ以降はしっかりとエネルギーが流れて行くようになりました。

たくさんの人達の愛を、彼は受け取ったと思います。

一昨日くらいから、一緒にヒーリングを送ってくれていた仲間達が口々に

「茶々ごん、大きなライオンに戻ったみたいよ。黄金に光輝いてる。強くてプライドが高いけど、とても心優しいライオンね!」
「ライオンが草原でお昼寝しているビジョンが見えた。気持ちよさそうにお昼寝してる~
「ヒーリング送ったけど、猫の姿じゃなくてかっこいいライオンだったよ」
「送り初めてすぐに黄金+虹色に輝いたライオンが見えたよ。この人(猫さん)はもしかしてライオンなのかな?」

と、ライオンのビジョンを伝えてくれていました。

彼と私との結びつきは今世だけではなく、過去世で、彼と私は、ライオンとその飼い主でした(→詳細は過去記事へ)。今世では、ライオンだと私に飼ってもらえないから、猫として私のところに来てくれたようです。

映画『ナルニア国ものがたり-ライオンと魔女』を観たときも、それに出て来るライオンの王(アスラン)は茶々ごんにしか見えませんでした。

彼はとても気高く、強く、心の大きい、とてもとても優しい存在で、私の大切なパートナーでした。

17年間、肉体を伴って私の側にいてくれたけど、これからは私のそばにパワーアニマルとしてついててくれるそうです。

彼は「ずっと側にいるから任せろ!」なんて言ってますが、ほんとにずっといるつもりかしら?
彼は肉体を離れてから、ひっきりなしに私に話しかけて来ています。こんなにおしゃべりだったとは…

ヒーラーのいのりちゃんが、数日前
「5年後も、ふうみたんの側にいる彼が見えるよ」
と言っていて、病気が奇跡的に治って肉体のままで5年後も側にいてくれるのかと思いましたが(今になって思えば5年後、彼は22歳。そうだとしたらギネスものです。笑)、スピリットしてずっと側にいるってことだったんですね

茶々ごん、17年間、本当にありがとう。
あなたと一緒に生きられて、私はとても幸せでした。

1

私の大切な、強く優しい、黄金色のライオン。
これからも、あなたをずっと愛し続けます。

心から、ありがとう。

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2012年5月 3日 (木)

天河神社旅行記(その2):役行者編

天河神社旅行記(その1)はこちら

天河神社に行ったあと、私達トリオ(さあやちゃん、クック君、私)は、橿原神宮駅の近くに戻って橿原神宮や、さあやちゃんが「絶対に行きたい!」と言っていた神武天皇陵へ立ち寄る予定でした。

その前に腹ごしらえ、と、天河神社へ向かう分かれ道の角(かど)にある『かどや食堂』というお店に入りました(名前そのまんま。笑)。お店の中の本棚を見ると、スピリチュアルな本がずらっと並んでいて、濃厚なスピ感の漂う(笑)素敵な食堂でした。
そこのご飯はとっても美味しくて、大満足
私は『あまご塩焼き定食』を食べました。お豆腐と山菜を使った副菜も超美味~!

食べ終わって私が会計をしている間、さあやちゃんとクック君がレジ下の面不動鍾乳洞のポスターに気付き、その由来や場所等をお店のマスター(若かりし頃の笑福亭仁鶴にクリソツ)に聞き、マスターから「行ってみるといいですよ」とすすめられていました。

その時、お会計を終えた私が

「行きたくなった~!!」

と発言。

二人は「えっ!?」と顔を見合わせ、私が鍾乳洞に行きたいのかと思ってキョトンとしたようですが、私はただ単にトイレに行きたかっただけでした(笑)。その絶妙なタイミングに、みんなで爆笑

でも、その私の一言がきっかけになって、実際に面不動鍾乳洞に行くことに(笑)。

面不動鍾乳洞は「洞川(どろがわ)」という山里地区にあり、温泉で有名です。役行者(えんのぎょうじゃ)が籠もって修行したという霊山大峯山のふもとにあります。

鍾乳洞の前にある駐車場は狭く、行った時は満車でした。

仕方なく停められる場所を探して先へと車を走らせていると、突然左側から強い風が吹いて、桜の花びらが舞い散るお寺が見えました。「八大龍王」という提灯(?)がぶら下がっています。
「ここどこ? でもちょっと行ってみない?」ということになり、立ち寄ることに。

その寺は、役行者が泉を発見して八大龍王を祀った龍泉寺というお寺でした。

境内に入った途端、みんな第三の目と頭部がピキーンと反応し、強いエネルギーを感じて頭がクラクラに。
「わわわ、ヤバイね、ココ。来る~~!!」
と言いながら境内を散策。龍穴のような場所もあり、強い龍のパワーを感じるところでした。ご本尊は私の守護神の一人でもある、弥勒菩薩さんでした。
龍と繋がりの深い3人は、テンションあがりっぱなし

その後、面不動鍾乳洞の前まで車で戻ると、ちょうど駐車場を出ようとしている車があり、スムーズに駐車できました。超グッドタイミング
車を停めて、その上の高台にある鍾乳洞へと登っていきます。
小さな鍾乳洞でしたが、思いのほか楽しいところで、子どものように大はしゃぎする3人 完全に遠足気分です(笑)。

鍾乳洞を出ると、天川の周りの霊山や洞川の里が見渡せるようになっていて、素晴らしい景色を堪能。「いいところだね~」「今度は弥山の奥の宮に登る?」「またこの近くを回ろう」などと話も弾みます。

そこから下山している途中、先に歩いていたクック君が突然右へと消えていきました。
「?」と思っていると、右側に神社がありました。すごいエネルギーです!
天河神社とは違って、男性性の力強いパワーを感じる場所でした。
龍の手水場もあり、しっかり大切に管理されていることがうかがえます。

そして、そこの境内にあるご神木を見て、私はビックリ!
洞川(どろがわ)八幡神社
先日友人のinoriちゃんにヒーリングを送っているときに見えたビジョンそのままだったからです。彼女は、別の日に天川に行くと言っていたので、後でそれを伝えました。

この神社は「洞川(どろがわ)八幡神社」という天川村洞川地区の氏神様で(御祭神は天照大神)、役行者が大峯山に入るときに守護を祈って開基した神社でした。男性性の強~いエネルギー・スポットでした。

その後、車を走らせ、気付けば大峯山の山中へ。
いつの間にか女人禁制の門を通りすぎていたようですが(笑)、山中に行けば行くほど下から強いエネルギーが沸き上がってくるのを感じます。3人とも「足がジンジンする~!」「背中が熱い~」「何コレ~!」と言いながら、大峯山のふもとのエネルギーを味わいました。いったい、大峯山ってどういう山なんでしょうかネ?(女人禁制のため女は登れないからわかりませんが。登った方、いますか?)。

その後、駅へと戻る途中、さあやちゃんがお土産を買いたいというので道の駅へ。
もう既に5時をまわっていて売店は残念ながら閉店したのですが、ここでトイレ休憩。

その道の駅にはツバメちゃんがたくさんいて飛び回っていました。
道の駅の屋根の下には、ツバメの巣がたくさんありました。

そこで、ふと目にとまったひとつの巣。
そこにはつがいのツバメちゃん二羽がいたのですが、そのつがいの巣の前で、一羽のオスのツバメがしきりに求愛行動をしています。

「俺と一緒になろうよ。そんな男より俺のほうがいいよ!」

と言ってました(たぶん。笑)。
それを見て、「ツバメの世界でも三角関係があるのね~」なんて話をしていたのですが、その三角関係は、思わぬ過去世での3人の関係につながっていくのでした。

(つづく) …物語はまだまだ続く。

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2012年5月 2日 (水)

天河神社旅行記(その1):能楽師編

こんばんは! 癒しの風foomiのふうみです^^

4月28日に天河神社のある奈良の天川村に行って来ました。

友人のヒーラーinoriちゃんに行こうと誘われ、どんなところかな、と天河神社のサイトを見たところ、なぜか涙が流れてくるではあ~りませんか!
涙が出たから浄化されたかな?と思い、日を改めて何度見るも、その度に涙がこぼれ… これは、実際に行かなくては完全に浄化できないのかも、と思って行くことにしました。

どうも、天河神社は、過去世で能楽師だったときにご縁があるようでした。

その過去世ですが、ちょうど1ヶ月くらい前のこと。

自己ヒーリングをしていると、突然、「般若」のイメージがチラチラ見え隠れするようになりました。

ある日お風呂で瞑想していると、過去世映像が断片的に見えたのですが、私は能楽師(男)で、般若役をしていて同化しすぎてしまい、般若の面がはずれなくなって本当に般若になってしまった…というような映像でした。どうやら、同僚の能楽師のことが好きで好きでクレイジーになってしまったようです。元祖(?)ボーイズラブなわけですが、ちょっと怖~~い話ですよね 小さい頃から般若のお面が異様に怖かったのも、きっとこのせいです。

それで、私の他にも天河神社にご縁のありそうなメンバーが5人集まって実際に行くことになりました。が、言い出しっぺだったinoriちゃんがその日都合が悪くなり、もう一人もケガでキャンセルとなり、結局メンバーは3人に。

今回のメンバーは、私と、友人のさあやちゃん(過去世でも私と繋がりの深いキュートな女子)、そして、以前『宇宙情報を読み取る会』の二次会で隣に座っていた男前のクック君です。

一見、風貌も住んでる場所も仕事も年齢も何もかも違う3人ですが、その後、深~~いつながりが明らかになることになったのです(笑)。

-

前日はワクワクしてなかなか寝付けず(←遠足の前の日の子どもみたい)睡眠不足のまま早朝の電車で奈良へ。

その日は、一日の始まりからスムーズに行きすぎて、「?」ということだらけでした。

まず、連休初日で電車も激混みだったのですが、私が乗った途端に私の前の席だけがあくというナイスな展開。乗り換えしても同じように私の座る席はあらかじめ用意してあったように席が空きます(笑)。

電車で橿原神宮駅まで行き、そこから奈良在住のクック君の車で天川村へ。
天川村はかなり山奥なので行くのが大変!という話をあちこちから聞いていたのに、拍子抜けするくらいにあっという間に天河神社に到着。車中でも不思議話で盛り上がり、楽しいのなんの

天河神社は、ついてすぐに懐かしさで胸がいっぱいになりました。確実に「私はここにいたことがある!」と魂が言っています。ものすご~く波動の優しい、素晴らしい所でした。

鎮守の森や木々たちのエネルギーもとてもやさしく癒されます。
やわらかく包み込むような女性性のエネルギーを感じました。

天河神社写真

境内では、シリウス系のエネルギーを感じました^^(3人ともシリウスにはご縁があります)

あまり写真は撮ってないのですが、その少しの写真の中でもあちこちに、瀬織津姫(シリウスの水の女神様)カラーと言われるピンクとブルーの光が写っていました。

天河神社写真

天河神社写真

極めつけはこちら。どちらさまでしょう?

4
境内はとてもやわらかな光に包まれていて、たっぷりとエネルギー補給させていただきました。特に、天から降ってきたと言われている岩からは(境内に3つあります)ビリビリするような宇宙エネルギーを感じます。

あと、入って左側(裏側)の役行者が祀られている(天河神社は役行者が開基です)祠とその後ろの鎮守の森周辺。そこ一体はかなりエネルギーが強く、3人とも第三の目や頭部に痛いくらいの体感を感じました。

私は、境内の階段の右あたりの木々(ヒノキかな?)と長いことおしゃべり。木に触れるだけで、もう、涙が出そうです。…というか、出たけど。

「また来たね。おかえり。今度は女に生まれて来たんだね。よかったね^^」

そう言われた時は泣きそうでしたが、人がいたので、ぐっとこらえました
その木は、過去世の私も、何があったのかも、全て見ていたのだと思います。
木のそばで、過去世のシーンがいくつかフラッシュバックしてきました。

能舞台で踊っていたこと。
舞台袖で好きな彼を見つめていたこと。
彼に手を触れたとき、ドキッとして恋が始まったこと。
せつなくて、その木のそばで泣いていたこと。

詳細の物語はこうです。

私は能楽師で男性でしたが、女性役を得意としていました(江戸時代頃かな?)。
彼の内面は完全に女性であり、同じ能楽師である幼なじみの男性がとても好きでした。
好きな彼には家庭がありましたが、彼の奥さんはどうやら他に好きな人がいたようで、浮気をしていたようです。

私は女の情念を表現するのが得意で、特に鬼女…思いが募り嫉妬に狂う般若の役が得意でした。(能楽だと、源氏物語の六条御息所を描いた『葵上』が有名ですね)

私は彼のことが好きで好きで、せつない気持ちは高まるばかり。
でも、その時代ですから、同性愛なんてとんでもなく、その思いを表に出すことも、伝えることも、何もできませんでした。しかし、私は、能面をかぶっているときだけは本当の感情を出すことが出来ました。能面をつけていたからこそ、面の下では自分を思いっきり表現できたのです。だからこそ、鬼気迫る般若の役を演じることができたのです。

しかし、あまりにもその役に没頭しすぎ、般若と一体化してしまい、だんだん般若の面がはずれなくなっていきます。彼への強い思慕の思いが般若とリンクしすぎて、面だけでなく完全に般若のようになってしまったようです。

「あんな女なんて死んでしまえばいい。私なら彼を幸せにできるのに。もっと彼を大切にする! なぜ私は女じゃないのだろう? 女になりたい…」

そして、とうとう相手の奥さんを呪い殺してしまいます
その後、能楽師は突然姿をくらまします。どうやら、行き場のない思いと罪の意識に耐えきれず、身を投げて死んだようです。

天河神社にいるとその時のドロドロの感情(というか、深い悲しみ)がスーッと抜けて行ったような気がしました。ご神木などの木々にもとっても癒されました。

さあやちゃんは、境内の散策から戻ってきたところで『神様ごめんなさいっていう感情が出て来たよぉ~~』と言って号泣!
それを見たクック君が「さあやちゃんが泣いてるのを見たら、頭の後ろがズキンとして痛いんだけど~~」と言いだし、「それはきっと泣かしたことがあるんだよ!」なんて言いながら笑う3人。

…しか~し、冗談で言ったつもりがそうではなく、後で判明したのですが、その『ゲイの能楽師が般若になった事件(笑)』の主要登場人物は、その3人でございました。
私が好きだった彼はクック君で、呪いをかけられた彼の妻がさあやちゃん。

どおりで!
なぜかふとした瞬間に、クック君に対するせつない気持ちがこみ上げてきて「?」と思っていたのでした さあやちゃんは、「その能楽師の話を聞いてると、胸がぐるじぃ~~」と悶絶しているし(←呪いをかけられて殺された女)。もろ当事者の3人なのでした。

それだけでなく、さあやちゃんと私は龍宮城の乙姫つながりで(私の方はタマヨリヒメ、彼女はトヨタメヒメ)、龍と関係があったことも判明。天河神社の鈴のお土産を彼女が買っていた時にピーンときた私。音(オト)姫=乙姫で、龍つながり。どおりで、二人とも音に対してとても興味があり、その前日には、ライトランゲージ(宇宙語)を話し、音を奏でるヤンタラ・ジローさんのトークライブに一緒に行っていたのでした。

さらに、これも後で判明したのですが、3人とも役行者とともに活動していた「鬼」であった時代もあったようです(弟子や友人だった)。

-

柔らかな波動の天河神社で2時間くらい過ごし、あまりの気持ち良さに後ろ髪をひかれつつも、次の目的地へ向かいました。

これは、天河神社で買った『諸芸上達お守り』。

5
ええ、過去世でゲイの芸人だっただけに、買っとかないと、と思いまして(笑)。
これでいっそう、私の芸は磨かれることでしょう。←何の芸だ。

…さらに、話はさかのぼること1500年前の恋愛話に続いていくのでした。

(つづく)

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